【 mnemonic code 】 と そのエチュード


     Exhibition 「mnemonic code」2002/05/21 - 06/02 のためのテキスト

「既視感=実際、見たことがなくても既に見たことがあるような感じ」辞書的な意味はこんな感じだろうか。私はこのことを踏まえて「既視感≒物語を喚起すること」としたい。
有名、無名に関わらず多くのビジュアルイメージに埋もれて生きているなかで、どこにでもありそうな場所性のない都市イメージが日々量産されている。それは特徴のない、記号化された現代都市の雛形のような風景である。あたかも解体と構築の繰り返しによってできた現代の東京に存在するアノニマスな都市風景と重なる部分が多い。
私たちは昼夜を問わず、否応なく風景を見ている。そして何の気負いもなく、そこにあるがままに存在しているこれらの風景を受け入れている。風景たちは何も主張はしない。ただそこにあるだけ。しかし意識して東京を見つめるとそこには私の既視感を甘く満たしてくれる風景が幾つも広がっていた。都市空間に意識的な視線のメスをいれると、曖昧で不確かな記憶と呼応して物語を喚起するトリガーの役目を果たすことに気がついた。物語と言ってもたいそうなものではなく、何の意味も持たなかった等価な風景が私にとって意味があるように感じられること、ぐらいなものである。
この「意味」は個人的経験に基づくスピリチュアルな問題なので、同じ「意味」を鑑賞者と共有することは難しいだろう。しかし、ギャラリーに来て写真を見ることは風景を切り取るという撮影者と近い行為であると思う。それは両者とも意識的にその都市空間の表層を見る行為だからである。
既視感が満たされる感覚は心地良い。私はこの感覚を鑑賞者と共有することでコミュニケートしたいと考えている。しかしこれらはまだ始まりで、私の散漫な記憶と物語の断片の羅列にすぎない。まだ混沌としている思考や視点から一部抽出したものである。鑑賞者に物語を喚起する記憶の種みたいなものとしてのイメージの一種でありえたい。